暢久からのメッセージ
葛城哲哉のMUSICAL LEGS
望月三起也の「トーク 近く」
 
望月三起也の「トーク 近く」


1960年「少年クラブ」の増刊号に『特ダネを追え』でデビュー。
1964年出世作『秘密探偵JA』を「少年キング」で連載。大ヒットとなり、その後数々の作品を少年誌に発表。1969年「少年キング」に代表作『ワイルド7』を11年の長期にわたり連載。ドラマ化されるなど大人気となる。
1973年『ワイルド7』で少年画報社出版文化賞受賞。
同年『ダンダラ新撰組』で第一回少年ジャンプ愛読者賞受賞。
また、漫画界きってのサッカー通としても有名で、解説、コラムと活躍している。

オフィシャルホームページ
http://www.mangazoo.jp/
studio/mochizuki/

 

「ツキの出た藤枝取材」
DATE:2004.06.03

 人生、ツキはツキもの。いい時もあれば悪い時もある。人との出会いも自分でコントロール出来ない。思い通り出会えたら、私、土方歳三に会って新撰組の話、直に聞いてみたい。自分を評価してくれる人に出会うことでさらに大きくなる。郷士のせがれで薬売りしていた男がわずか5年の間に幕府の陸軍を率いる位置になるまで昇る。当時のライバル勤王の志士と呼ばれ若くして討ち死にした人達はツキで言えば、それがなかった。
土方が狙っていた桂小五郎って志士は明治時代まで生き残るツキがあって、今で言う首相クラスにまでなった。両者共、ツキを当てに生きていたわけではなく努力がツキを呼んだということですが、サッカー狂の私のツキは最初のサッカー漫画を描く舞台に藤枝東高を選んだことがそもそもの始まり。今からウン十年前。山田クンはまだいなかった頃、泊りがけの取材で夜、靴下を買いに外へ出たら8時だというのに店は閉まり、市内は真っ暗。
車も少なく、シーンとした夜に月が寒そうにぶら下がって山奥のよう。そんな時代に東高のグラウンドでの練習試合。観客は金アミに黒山のように取り付いている。白熱しているのは部員以上。又、プレーに詳しい。ヘタなプレーはブーイング、ミスが続けば金アミ越しに小石が投げつけられる。選手は敵も小石も同時に視野に入れなければ危なくて、あれが多分、状況判断日本一の高校の理由でしょうね。

 当時から技は別格、高校選手権で常に優勝候補、取材した当時の日本代表に何人も出身者がいたのです。今の国見高でしょうか。高校で有名になってもその後、日本代表にまで順調に行くのは、やはり実力プラス、ツキでしょう。選ばれてもケガに泣かされることもある、監督が変わったり、同じポジションにライバルがいいプレーで目立ったり、選ばれても試合に出られない時はクサるところを、その落ち込んだ気分の時、どう行動するかが大物と小物の違い。人生、雨の日ばかりじゃない。いつか、晴れます。先に光りはあるのです。雨の日はじっくり家ン中でタメになる本を読むのも手。精神的にアセッてると、外へ飛び出してからカサを持ってないことに気づいて、びしょぬれになるのがオチ。腰を落ち着けることがツキを呼び戻す何よりの手。運は人間、皆公平に神様は与えてくれていると私は信じています。
 与えられた運の数が100なら小出しに使うか、この一戦というときに一気に50使うかで人生大きく変わる。金と同じ。無駄使いしないことです。
と、今の山田クンに言いたい私です。

*その取材は「ザ・サッカー」という単行本になりました。今は絶版。


(C)MIKIYA MOCHIZUKI
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