暢久からのメッセージ
葛城哲哉のMUSICAL LEGS
望月三起也の「トーク 近く」
 
葛城哲哉のMUSICAL LEGS


BMGビクターでのソロ活動では'96年までの間に7枚のシングルと5枚のアルバムを発表。
近年の主なステージセッションとしてはTMNETWORK、渡辺美里、黒田倫弘など。レコーディングセッションでは、T.M.Revolution、access、渡辺美里、TMNETWORK、椎名へきる・・・と多数。
現在ではロックギタリストとしての地位を不動のものとしている。
 FMNACK5のサッカー中継ではスタジアムコメンテーターとして'96年からレギュラー出演を続けている。'99年6月26日「シドニー五輪アジア地区1次予選<日本vsネパール>戦」では、国立競技場での大観衆の中「君が代独唱」の大任も務めた。

→葛城哲哉氏公式サイト

 
「最近神に感謝しているかなあ?」
DATE:2004.07.14


僕は福岡県の北九州市で生まれた。
1961年だからもうずいぶん昔の話だ。

母方の両親、すなわちじいちゃん、ばあちゃんと親父、お袋、そして二年後に生まれた弟の6人世帯で暮らしていた。
陸軍出身のじいちゃんがシューベルト好きで、それこそ蓄音機でSP盤を聞いていた。
SP盤とは78回転のレコードだ。
うちの蓄音機が優秀なのか蓄音機というものがそうなのかしらないが、回転数の切り替えが16、33、45,78の4段階になっていた。
33回転はいわゆるLP盤、ドーナツ盤と言われていたシングル盤は45回転だ。
80年台生まれの人などはアナログレコードを知らない可能性もあるのでチンプンカンプンかもしれないなあ。
でも、音楽に興味ある人はヒップホップやDJといったカルチャーのおかげでレトロなものとしてでなく必要不可欠なアイテムとして認知しているかもしれないね。
ま、いずれにせよ音楽好きな家系だったんだろう。
その影響のおかげでいま、プロミュージシャンとしてオマンマ食べていけてると思うと蓄音機様様だ。
 
家のなかには仏壇もなく、そうかといってロザリオがあるわけでもなく、ただ西洋音楽が流れていた。
そして僕はキリスト教系の幼稚園に通うことになった。
もちろん両親がクリスチャンだったわけでもなく、クラシックファンだったじいちゃんがクリスチャンだったわけでもない。
たまたま一番近くにあった幼稚園が聖ヨゼフ幼稚園というキリスト教系だったというわけだ。
が、おかげでお祈りを覚え神様の存在を信じるようになった。
科学の知識もない子供にシスターがお話をしてくださるのだ。
すべての出来事は神がおつくりになったと言われても信じるに決まっている。
ご飯の前には十字を切って、お祈りし、寝る前にも十字を切る、そんな生活が小学校6年まで続いた。
ヴァイオリンのレッスンも始めていた僕は案外と忙しい毎日だったようだ。クリスチャンだったのか?
といわれるとそうではなかったようにおもう。
なぜなら教会には一回も行った事がないし、なにかをするときに祈りこそすれ、聖書基準で判断したこともまったくない。
とはいえ、当たり前のように寝る前にはその日一日の無事を「天にましますわれらの父よ、、、」と祈ってから休むのである。そういった意味では教義や説法など知らないなりにもクリスチャンであったといえるかもしれない。

そんな僕の大好きだったおばあちゃんが亡くなった。
僕が中学に入って2週間ほどしかたってないころだった。
そこで一番の疑問が葬式でお経をあげているお坊さんだった。
「天にまします?のお祈りはどこ?」

我が家の宗教って?

その葬式から一週間後、僕は埼玉に引っ越した。
夕飯を家族でそろって食べる機会も減ってきて食前のお祈りの習慣も自然消滅してしまった。
サッカー一辺倒の生活、かろうじてヴァイオリンは続けていたがそれも高校一年の夏、埼玉県北ベスト11に選ばれてからはサッカーに集中するという名目でやめてしまった。 
この頃はレコードも聞かずもっぱらラジオだった。
78回転のSP盤はもはや行方不明状態だ。 
じいちゃんの蓄音機からはじまった音楽への興味と、毎日のお祈りという僕の基本にもなるべき習慣がたった8年でまったく消え去ってしまっていった。
  
1990年に最初の子供を授かったとき再び祈る行為がよみがえった。
無事に生まれてきたとき手を合わせて何かに一生懸命感謝していた。
子供が病気になるたびに祈る。
そしてその行為は95年二人目の子供が生まれたときにより大きなものとなった。
産まれながらに心臓に疾患があった下の子はリスクの大きな手術を受けなければ確実に死んでしまう運命の子だった。

「できる限りの努力は惜しみません。僕の命と変えて助かるのならどうぞ、おねがいします。」 

その祈りは天にまします、でもなく、南無阿弥陀仏でもない。
そこに宗教は存在していないのに、神に祈っているのだ。
神とは何ぞや?  
95年をきっかけにふたたび神に祈る僕がいた。  

人それぞれいろいろな神がいるんだろう。
それが僕の場合はキリストでもなく、釈迦でもなく、アラーでもない自分だけの形のようだ。
いまは頼ることではなく、感謝すること自体が神の存在のような心境でいる。  

最近のゴールシーンでは神に祈るポーズを以前ほど見かけなくなった。
ビスマルクの祈りのポーズはある意味一世を風靡したけど、あとを継ぐ人はいない。
アイルランドのロビーキーンのようにマシンガンポーズのほうが増えてきてるように感じるのも時代のせいなのかな。

そんななか、ユーロやコパアメリカを見てて気づいた。

ピッチにでるときに十字を切る選手、口づけをする選手、ひざまずく選手のいかに多いことかに。  

ノブヒサがどんな人間か知らなかった時期に好きになるきっかけとなったできごとがあった。

駒場でのウイニングランのとき、自分の子供を肩車していたシーンだ。
そのとき確信した。
「俺がプレーできてるのは君たち家族のおかげなんだよ。」といわんばかりのノブヒサを!

俺と同じく心の中に神がいる!そう、宗派は家族教!? 

ちょっとその辺を焼肉でも食いながら聞いてみよう。 
 
ついでに78回転のレコードなんていうか知ってるかって。


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