暢久からのメッセージ
葛城哲哉のMUSICAL LEGS
望月三起也の「トーク 近く」
 
葛城哲哉のMUSICAL LEGS


BMGビクターでのソロ活動では'96年までの間に7枚のシングルと5枚のアルバムを発表。
近年の主なステージセッションとしてはTMNETWORK、渡辺美里、黒田倫弘など。レコーディングセッションでは、T.M.Revolution、access、渡辺美里、TMNETWORK、椎名へきる・・・と多数。
現在ではロックギタリストとしての地位を不動のものとしている。
 FMNACK5のサッカー中継ではスタジアムコメンテーターとして'96年からレギュラー出演を続けている。'99年6月26日「シドニー五輪アジア地区1次予選<日本vsネパール>戦」では、国立競技場での大観衆の中「君が代独唱」の大任も務めた。

→葛城哲哉氏公式サイト

 
「サイトオープン!!まずはおめでとう!」
DATE:2004.03.13
山田選手のサイトオープン!!まずはおめでとう!

このサイトでコラムを書かないか?という話をもらったとき、そりゃあもううれしかったね。

僕も高校時代この埼玉県で準優勝3回経験してる。
今みたいにJリーグがあればもっと注目してもらえたかもしれないのに、当時は埼玉新聞にちょっと大きめの写真が載っただけだった。
しかも決勝戦で敵に抜かれてるシーン!とほほ。
ま、そんな僕と同期だった水沼君は時代に関係なく超有名だったけどね。ということは時代がどうのこうのではなくてやっぱ実力か?!

そんなこんなでめでたく腰を怪我した僕はギターをはじめた。
そしていまプロのギタリストとして立派に?飯を食っているわけだ。
でも、本当の夢はサッカー選手だった、いや今でもそうだ。日本代表に選ばれて得点したい。
ん?山田君はもう実現してしまってるじゃないか!なんてこったい。
山田君は僕の夢の権化だったのか。なんだ、じゃ、僕がコラムを書いて当然か。僕たちファンというのはこんなものだ。勝手に自分の夢を重ねていく。

アマチュアのときは好きなスポーツを自分のためだけにやっていたとしても誰にも文句言われる筋合いはない。少々品行がお下品であったところでそれは本人の評価が下がるだけでたいした問題ではないだろう。
ところがプロとなるとそういかない。お金を取ってプレーする以上結果が求められる。さらに少年たち、そして僕たちのようなファンにとってある意味模範である必要があるのだ。
なにしろ夢の権化なのだから。
ところが実際は歴史が浅いせいもあって選手一人一人に企業のサッカー部員の感覚が残ったままだ。プロ選手は社員ではない。一人のアーティストとして自覚をもつべきなのだ。かっこいい車にのっていい生活をする。だって夢の権化だもの。そのかわりそのリスペクトを最大限利用してボランティアなど社会貢献もする。
それこそが真のプロフェッショナル。

僕がミュージシャンとしてデビューしたとき、ライブハウスでしかコンサートをしたことがなかった。ある意味客の事なんか考えてなかった。
ホール、武道館、アリーナ、西武球場や東京ドームでのステージを経験していくうちに人に見られてることの大切さ、期待にこたえるパフォーマンスを身につけていくことができた。
  
けっして客に媚びるのではない。
ただ、客のためにこそ自分に忠実であれ、ということを学べたのだ。
そしてこの経験だけは教えることのできないもの、ステージ立った者だけが感じることができるもの。実際に5万人の前で演奏しないと感じることのできない感覚なのだ。

山田君はジーコジャパンでブレイクした。
代表という責任と、注目を全身に感じながらプレーしたに違いない。同じ5万人の前でプレーしててもレッズと代表では背負うものが違う。これだけは代表になったものしか経験できない感覚だったはずだ。
そしてその経験はより大きなアーティストへ変身していく第一歩だったようにおもう。
まるでそれと呼応するかのようにレッズの初タイトル。山田君の変身こそがMVPだったと僕は信じている。
こうやってサイトを立ち上げてアーティストとしての輝きを増していくことがより歴史にのこる名選手への第一歩なのだ!だって僕の夢の権化だからね。ただ、5万人の前でギター弾く快感だけは譲らないぞ。

Nack5や大野勢太郎さんのおかげで浦和レッズの放送に出させてもらってはや8年ちかく?? 放送ではいつも「ノブヒサ!」といかにも自分の弟子のように偉そうに呼ばせてもらってる。ごめんなさい!!でも、それがカツラギ流。

だからこれからもノブヒサと呼ばせていただく!! 

よろしく。

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